前に「親父には人を育てる素養がないなあ」などと述べたことあるけど…。

この言葉、本人を向かって直にそういうこと言えば、案の定、親父は烈火のごとく怒りをあらわにすることは間違いない。
そして改めて自分は「この人はやはりそういう『反応』しか出来ないか」と残念するだろう。

「おまえはなぜ俺をそう思うんだ?どこにそう思わせる原因があるのか納得できる説明をして見ろ?」

と、息子がなぜ、そういうことを言うのか、冷静に問いただすくらいの器量があれば、改善という余地が生まれるが、…まあそういうものがないから、実の親に向かって敢えて「素養がない」と断定してしまうのだけど…。

親父の思考は基本的にスパルタ式で飴無し鞭だけのやり口である。
(自身にも例外なく与えるのは大したものを感じるけど)

我が子の生来持つ気質・素養を計り、物事を教え律する方向を「加減する」という思考は全くなく、自分で「感じてきたことだけ」を中心としている。
感じるままにするわけだから、芯は通っているものの理論的ではない。

先に述べたように親父の人を育てるコンセプト自体は確立はしている。
「飴無し鞭だけ」だ。
(まるっきし飴無しじゃあないけど、それにしてもその加減が極端…)

流石に、子を思わぬ親…という訳ではないので、こどもの成長を気にかけはする。
しかしその教えはまず子を否定することから始まる。

「おまえはそんな程度しかできないのか!」
「だからおまえは何をやってもだめなんだ!」
「またそんなことしても同じ事の繰り返しだ!」

否定することによって反骨心を芽生えさせ、精神的な強化を促すのが親父のやり口で、それは自分が過去の経験で培ってきた方法である。

コメント