否定をし、励ますことをしない、そのやり方を絶対視・正当視する父親。
その裏に、ちゃんとした「子に対する思い」があることは理解しつつも、自分にとってはとても受け入れがたいものだったりする。

本当のことを言えば。
このやり方自体、間違ったやり方だとかまでは、実は思っていない。
ただ「自分にとっては逆効果だった」と理解している。

ここで、人を育てるには「何が大事か?」が出てくる。

人を育てるには。
また反芻して述べる点もあるけど、

・まずその子のもつ、素養(身体能力や興味を持って行動する対象への姿勢)を理解する。

・今まで培ってきた自分の経験生き方をそのまま押しつけるように教え、
 与えるのではなく、その程度によって加減することが大事。
(同じだったらそのままでいけるんである意味楽だよなあ…)

…と、そう確信していたり。

だから結局。
親となった者が、その加減する能力に欠けていると、子は不遇な思いをせねばならなくなってしまう。

…とまあ。
今親である立場の人で、その加減が分からないのなら、それなりに知ることの出来る知識本、経験者の著書もあったりするから、ある程度理解は出来る。
100%とまではいかないまでも、実践も充分可能と言える。

傾向と対策は、突き詰めれば思った以上に得られる機会が多い。

ん……え?

そんな立派なこと言う自分は、さぞ立派な親になれるのかと?

…………。
そりゃあまあ。

…………やはり人を育てる器ではないでつな。

だって…。

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