今日は秘密オンリーでつ。
随分昔から、自分には「情」というのがないことを認識している。

「愛情」とか「友情」とか、情につくようなものがことごとく希薄なのである。
あるのは物事の利害関係と、唯一まとものレベルで「義理」くらいか。

過去にそういうものへの不自由を強いられてきた……というほどの環境で育ったわけではない。
……まあ実際は優遇とも言いがたい状況なのだが、どうも生来からそういうものに気持ちが傾くほどの器量がなかったようである。

そもそも、こういう「情」を用いて接する人間が、どうも苦手だというのも原因だろう。
相手側に底意があろうがなかろうが、ともかく自分にはそういう行動をするのもされるのもダメだったりする。

従って。
こんな体たらくであるものだから、異性とのお付き合いというのがいー歳にもなってなお、今までに一度もない。
(もはや異常者の域…)
男女の縁には必ず、情の存在が必然と認識される昨今、それに疎い自分には、全くもって縁のない事態となる。

で、ここで困っていることなのだが…。

自分は長男である。
そして、親がいつまでもそんな宙ぶらりん状態の、不祥な息子を苦々しく思っているはず。
何だかんだとその親に対し、育ててもらった「義理」があるのだ。
その義理立てならない状態は、自分にとってとても嫌なもので、そこのトコに苦悩しているのである。

無論、親孝行とかそういうレベルは全くの皆無、義理の立てと言っても所詮は個人認識の産物に過ぎない。
が、戴いた諸々を返さない行為は、無情よりも劣ると考えている手前、苦しさは日に日に膨らむ一方で……。

何度か述べている低収入に加え、身を固めることすら叶わぬ自分では義理立てすらままならない。
仕事は転職などして改善をする余地はあれども、情が育っていないままの自分が、今から所帯持つだけの手段を用いることが出来ない。
手詰まりである。

…情もないのにある振りして相手を騙すなんてのはもっての他だし、かといってないことを正直に告げたところで解決などしようはずもない。

(天の声による電波受信)

……え?情を育ててもらえる相手を探せ?
…………………………………………………………いるの?(ぉ
身近な者に、親しき者に死者が出るのは嫌なものである。

それを被ったあの日からあと数ヶ月で2年が通過しようとしている。
早いのか遅いのか、何とも言えないが、だが未だに、その時の大きなしこりが残っている。

己の力量のなさが、その人を死へと追いやる一因となった…。

この事実は、変えられることのない現実であり、そして取り返しのつかないこと…。
直接の原因が自分ではなくても、本人の意気地の無さが招いたことでもあろうとも、責は自分にあると考えている…。

それでも、無様でも生きることが本懐と考えている自分。
確かに死は、今の苦悩から解放され、永遠の平穏と安寧与えるのだろうが、安易にその道へ選択せず進んで生き様見せてこそ、その人への供養とも考えている。

ただ…。
その姿が幸せでいる自分であっていいのかという疑念がある。
苦悩の末にその方向へと向かった…いや向かわせてしまっている自分に、それはあまりにも都合が良すぎるのではないか?
……と。

いつまでも引きずる必然はないのだろうが………だがそれにしても時はまだ2年も経っていない。
さて……。

孤高2

2004年1月30日 個人的観念理論
昔、珍しく異性を求めた時期があったが、体よく相手に拒絶されたことがある。

あの頃は正直……みっともない、無様極まりない。

当時、仕事で自分ではどうにもならない事態に陥り、顔を歪める程の思いをした時期だったが…。
その時に求めたのは、異性への恋慕と慰めの言葉だったのである。
当時の自分は、まさしく一番最初に述べたような、「自分の弱さが露呈した故の紛らわし」と「他人で埋め合わせ」と同じことをしたのだ。

生憎というか、幸いとでも言うのか。
相手側にそれを受け入れるだけの器量がなかったお陰で、大いに気付かされたのである。

このことから。
ただでさえ薄い恋慕の情は全て削り取られ、もはや消炭さえないまま今があるのだが、その分、他人への依頼心を捨て去り、独りでどう行動するか?……と考える方を持ち初め、結果物事がうまく流れているのである。

最近「孤高」という言葉に惹かれるものがある。
人様より抜きん出ている意味でもあり、独り志を貫く意味合いを持つ。

この孤高にどれだけ近づけるか、もしくは胸に刻めるかが今後の生き方だが……

ああ?なに?何一人よがりしてやがるって?

えーやん、自分なりの無様なれども我が道通す考えってのも。
悪くはないんじゃない?

孤高

2004年1月29日 個人的観念理論
…どうも人様の多くは、「独り」というのを寂しくてとても辛いものと感じているらしい。
傍らには愛する異性とか、意気投合できる仲間がいないと、自分の弱さが露呈してしまい、耐えられないようなのである。

ところが一方、自分自身はというと。
…多くの人といる時ほど、逆に孤独感が募る体質の人間だったりする。

有象無象の、いるのかいないのかわからないような自分の存在ってのが、どーにも気分が悪い。
(耐えられないわけでもないのだが)

そういうのは、その有象無象の…他人をかき分けて自分を目立たせることによって、解消するのが道理なんだろうが、…どうもその「かき分ける」ってのにうんざりしているのが実態だったりもする。

餓鬼の時分は、無理にそういう行動しようとして空回りもざらだった状況もあり(っつーか悪化の一途…)、そのうち、それそのものへの価値をほとんど失ってしまった感もある。

また仮に、そういう中で目立つ存在というのも、実はあまり気分が良くない。
…なんだか相手に、都合のいい先入観やら期待やら、または他の心情で自分を掻き回されている感じになるからである。

もともと、人のペースに合わせて集団で行動するのを良しとしない、アウトローな一面(響きだけカッコよく…)もあるので、むしろ孤独という存在は幸いと考えているのだ。

人と一緒じゃないと寂しくてたまらない…そんな人を見ていると哀れ極まりないものがある。
自分の無力・無能さを、他人で埋め合わせようとしているイメージすら感じる。
寂しさというのは、そういうものの裏返しと解釈すべきだろう。
しかし多くの人といる分、人の考えに、人の価値観に、人の評価に振り回され、余計に自分を失うことも多分にある。

まあ…。
仲間は確かにいい。恋人もいるのならいるに越したことはない。
悪いことはない。良いことの方も多いだろう。
そうして仲間が多くいて寂しさが紛れる分、見えないところでいつの間にか、自分に多くの犠牲に強いてたとしても。
無論、そんな「恋愛を隔てて結ばれた親」を持たない子が、恋愛を学ぶはずもない。
あこがれたり望んだり、気持ちだけ持つのは容易ではある。
…が、行動として表すにはどうしても稚拙なものとなってしまうのである。

ところが、そんな恋愛下手ばかりの人間が多いにも関わらず、周りの風潮は「恋愛のプロセス」を当然とし、「社会的なプロセス」を蔑む傾向が強くなって……結果、疎遠となる者が増えてしまっている。

(……自分は先に述べた通り、観念そのものが薄いので、また極端な例になってしまうのだけれど。(ーー;)

3については……だいたい還暦迎える位の世代の人の時代には「30超えて結婚しないのはどっかおかしい人」なーんて感じたっだようで。(苦笑)

「周りがそう言うから」「世間体の問題」から、そういう社会性に流されるが如く結婚をしたようなケースも当然あったのだが、
「今はそうでもない」のだ。

価値観の多様化などと都合のいい言葉があるが、まさしくそれにあたる。
その多様化は「結婚し家族を持つことを生きる糧としない」考え方も増えた。

……で、おおもとに話は戻るけど、これらの要因から今がある、という訳で。

止む得ない傾向なのかもしれない。
国は随分前から少子化への懸念云々を述べられているが、これらの要因を回避し、改善へ向かうための考え方はそれなりにあるはずにも関わらず……どうもその複数の要因を理解していないらしい。

家族を持つことへの意義。
そのメリットを強くアピールするだけでも、人の心は随分違う方向へ向かうのだが………うーん、国自体がもはやそう言う思考へ機能しないかもしれないなあ…これは。(ーー

むしろ、そういうのは個人レベルでどうにかしろ……と開き直ってるのかもしれない。

このままでは、自分のような輩はどんどん増えていくだろうが…はてさて…。
……それもこれも。
結婚、家族を持つことが、人生のステップアップと考えられない要因が多く考えられる。

1.昨今の不景気状況による雇用・給与の不安定さ

2.「恋愛のプロセス」を隔てなければ「男女の縁」は成り立たないという傾向

3.結婚・家族を持つことが、人生のステータスとは一概に言えない傾向が生まれた

1は………未だ新卒者に毛が生えた程度の給与を強いられている自分がいるわけで。(苦笑)

まあ自分は極端に低い例なので、引き合いに出すには程度が悪すぎるのだが、かといって、平均値ぐらいの人が充分な給与を得ているのか……と問われると…これもまた、あまり芳しくない状況だったりする。

ましてや、雇用の不安定というのは将来も不安定ということにもなるのだがら、下手に家族を持って後々路頭に迷わせるような可能性が高い…ともなれば、何事にも及び腰にならざる得ない。

2は。
……たまたまこれを読まれた方は「は?」…と思われるかもしれないけれど。

少なくとも昔は、「そういう」ケースがあまりなかったはずなのである。
恋をして愛を育み、そして二人は結ばれ……などと、今時のドラマや流行歌のようなパターンは少なく、大概「お見合い」などの「結婚」「家族を持つこと」を念頭に置いた、…まあそういう「社会的な目的意識」の中で男女は繋がっていくプロセスが相応だった。
(自分の親もお見合い結婚だったり…)
既に自分は「いい歳」である。

まあ世間様で言うなら、結婚もして子供の一人や二人いてもいい歳……である。

ところが、自分はそういうのが全くなかったりする。
もてるもてないとか○モとかの問題ではなく、単にそういう観念が非常に薄いからなのだが。
(っつーか、アレなイベントにまで行っている位の人でつし…)

昔から恋愛に疎いこともあり(っつーかこれもまた観念が薄いのだが…)、がっつくだけの欲求すらない。
(まあ幾年か前に珍しくあったけど、ドグサレバッドエンドで終わったし)

以上のような要因が重なって、見事に宙ぶらりんの独り者が出来てしまっているのだが、思いのほか、同世代、もしくは近い世代で似たような状況が多くあったりする。

実際、結婚している者は少なめである。
女性も同傾向である。

1 2